悠パラ日記【31】パラオは豊かな国であった
(2024/08/06)仙田悠人
こんにちは、パラオ滞在中の仙田悠人です。
今回はパラオが豊かな国であったこと、について僕の考察です。
男女の役割
まず、伝統的なパラオの男女の役割について紹介します。
パラオにおいて、男は海で仕事を、女は山で仕事をという役割分担がありました。決められた役割を果たすことで、お互いが助け合って生活をするスタイルだったそうです(桃太郎のお爺さんとお婆さんみたいに)。
現在でもこの習慣を「Cultural week(伝統文化体験週間)」という、学校で決められた日に子供達がこの分業を体験する機会があります。
男子はウミガメや豚を解体する作業を、女子は陸でキャッサバを葉っぱに包み、タロ芋の収穫等をしていました。
そして、次の日のお昼は捌いたり作ったりした食べ物をみんなでいただくというところまでが経験。先進国日本では忘れ去られた人間としての基礎的な体験ができる彼らはある意味で恵まれていますね。
男女平等が進む日本の社会では、逆に分担を体験する機会がほとんど無くなっているともいえます。そんな中で、文化として互いの得意分野を男女という区別で経験できる機会は貴重なのかもしれません。また、何か男女平等について子供たちが考えを馳せる機会にもなるのかもしれません!
母系社会
日本は父系社会で、現在は葬式後に火葬が法律上義務付けられています。一方でパラオは母系社会で土葬の文化が残っています。つまりパラオでは死後、お母さんが他のお墓に土葬されることになるのです。
周囲の他の島嶼国は父系社会なのに、なぜパラオだけが母系社会なのかという謎はいつか正式に解き明かされるべきですね。僕の考察はこの後、発表しようかと思います。
アウトリガー文化
パラオ人を含むアイランダーは島と島を伝統的なアウトリガー船に乗って行き来していたことは広く知られています。
星を見て進路を決定し、家族代々継承される海図を用いて航海に出ていたのです。ほんと、ロマンしかない話ですよお!
伝統的な航海術に関して日本で有名なのはサタワル島というミクロネシア連邦に属する島です。なぜ有名かといえば、1975年に「チェチェメニ号」というアウトリガー船が日本は沖縄まで約3000キロの航海を完走させたからです。このチェチェメニ号は、現在大阪民族博物館に展示されているようなので是非一度ご覧くださいませ。
僕が少し前まで伝統的な航海術を教えていただいていた師匠もこの船に乗っていた人のうちの一人でした。沖縄までの旅路は師匠のお父さんがマスターナビゲーターとして活躍されたそうです。
スターナビゲーションのほぼ全てが現在の高校物理までで習得できる知識と結び付けられて説明することができます。経験則が現在の科学と対等なレベルで信用されている世界線は誰もが一度は触れてみる価値のある分野ではないでしょうか。
パラオのアウトリガー文化事情
現在、アウトリガーをパラオで日常的に見かけることはありません。第二次世界大戦中に諸説ある理由でアウトリガー船が壊されたのです。また、エンジンボートが普及して遅い船は使われなくなったのでしょう。
しかし、文化の継承という観点から利用をしなければならないのが現状です。
特に、パラオ本島(一番大きな島)はもともと普及が少なかったような雰囲気です。帆があるアウトリガーよりも、カヌーとしての船が発達していたようで、技術もほとんど残っていません。伝統技術が残っているのは、エーアンというソンソロール州・ハトホベイ州出身の人々に集約しています。エーアンの人々はクラン(家系)毎に船の企業秘密的なものがあって、仲良くなければ日本人にも教えてくれないほどです。それほどにアウトリガーに対する知識・情熱が発達・保存されています。
推測
上記4つの点から推測するに、パラオは「豊かな国」であったと推測しています。
パラオ本島は帆船アウトリガーについての知識を利用する必要は少なかったことから、外から来る人々を迎える立場であったのではないでしょうか。また、男は他の島に行ったとしても、それきりで帰ってこないため、知識がパラオに集約されることがなかった。また、母系社会であったことから他の島に行った男たちが帰ってこなくとも、パラオ社会は成り立っていたのではないか。
豊かな島であるからこそ、他者を迎える側の国でありアウトリガーについての知識が発達しなかった。そう推測しているわけです。
節穴だらけの推測ですが、これからまた補完し続けようと思うので暖かくそっとしておいていただけると幸いです。(笑)
今回は文化人類学の観点からロマンをお裾分けできればと思いました。一読、ありがとうございました!!