神社丸物語 その1 南の海へ流された人々
文政3年(1820)11月26日。今の岩手県から江戸へ向かう800石積の〈神社丸〉が遭難しパラオに漂着するという海難事故がありました。
これが日本とパラオの最初の接点ということになります。
まずは↓こちらをご覧ください。
乗員12人中7人が無事日本に帰りつき、つまり生きて戻ってきたおかげでこうして漂流記として残っている訳です。
ちょうどヨット、モーターボートの雑誌『Kazi』にライフラフトでの漂流関係の記事を書いていて、ふと“漂流”という言葉自体に興味を持ちまして。
そう、
海を漂い流れるというのが「漂流」本来の意味だと思っていたのですが、それよりも「意に反して社会から孤立し、そこで生き抜く」という意味で使われることの方が多いなぁ、と。
『ロビンソン・クルーソー漂流記』にしても、『十五少年漂流記』にしても物語は海の上での“漂流”じゃなく無人あるいは未開の島での生活がメインなわけで。
いやいや、これらは原題は『The Life and Strange Surprising Adventures of Robinson Crusoe(ロビンソン・クルーソーの生涯と奇しくも驚くべき冒険)』、十五少年~の方は『Deux Ans de Vacances(2年間の休暇)』で、つまり原題には“漂流”という言葉は出てこない。
ってことは、日本語の「漂流」という言葉の問題かと。
そこで、
日本語でずばり『漂流』というタイトルの吉村昭の小説を読んでみたわけです。
江戸時代に実際にあった遭難-生還の話を元にした長編小説なのですが、こちらもメインは流れ着いた無人島(鳥島)での生活のお話になっています。
実際の海の上での漂流部分もかなり詳しく書かれていて、我々ヨット乗りからしても矛盾を感じない描写で興味深いものですが、序の部分を読んでみても、少なくとも吉村昭は「漂流」を「意に反して社会から孤立し、そこで生き抜く」というような意味で使っているな、と。実際のところ、これを「漂流」以外になんと表現すればいいのか。適切な日本語はあるのか。となると、やっぱり「漂流」だろう、と。
ということで、まずはこちら小説『漂流』から。
上記〈神社丸〉の遭難と同じ江戸時代ですがちょっと前の天明5年(1785)。はい、このあたりの時代背景も重要なんですが。四国を出た300石積みの弁財船が遭難し鳥島に漂着。無人島で生き抜き12年後の寛政9年(1797)に無事生還したという実際にあったお話です。
まずは地理から。
日本の南海上には、鳥島、沖ノ鳥島、南鳥島と、3つの“鳥島”がありまして。
まずヤヤコシイのが、南鳥島は南というより東にあるところ。日本最東端になります。でも地名は南鳥島。
ハワイから貿易風に乗って西へ西へと走り続けると近くを通ることになり、筆者も見える所まで近づいたことあります。平らな島で、というか珊瑚の環礁ですが面積は結構広いようで飛行場があり、自衛隊と気象庁の観測員だかが駐在しているそうな。
島に近づくと横に長くケーブルを張ったアンテナが見えました。島で一番標高が高いのはアンテナ、って感じ。
対して、日本最南端は沖の鳥島の方で。“島”と呼んでいいのか今にも崩れ落ちそうな岩礁で、よくニュースに出てきますよね。日本の排他的経済水域(EEZ)を広げるきわめて重要な“島”です。
こちらは横浜-パラオを繋いだ線上(ラムライン)の近く(距離的には中間やや南くらい)に位置します。
が、行ったことありません。そうとう近くに寄らないと見えないかも。“岩”だから。
そしてこの小説『漂流』の舞台となった鳥島は伊豆諸島、八丈島と小笠原の中間辺りに位置する無人島で。ワタクシ、真冬の大時化で荒天避難の為に島陰で1晩漂っていたことがあるのですが、まさに絶海の孤島。
標高はあるのですが、よくもまあ都合良くたどり着くものかと思うのですが。
よく考えれば当時は木造船なわけで、遭難しても沈みはしない。船体自体が水に浮く木材でできているわけだから。積み荷を捨てれば水船になっても浮いているはずです。
例えてみれば空気が抜けないライフラフトみたいなもんで。最後は船体がバラバラになってしまうんでしょうが、それでもライフラフト程度のサイズは残ろうかと。
上の動画では「(嵐に遭って)帆柱を切って積み荷と共に放り投げ……」って話が出てくるのですが、倒したマストをそのままデッキに縛り付けておけば、嵐が収まったら再びマストを立てて走れるのに……と思うのですが。
鎖国制度下の日本の船は他国に渡ることを禁じられていたわけですから、外洋を走ってはいけない、ということでもあり。
船自体の堪航性も低いうえに操船術も遠洋でのそれを見据えた発達がなくて当然か。
で、遭難事故は多い。その分漂着例も結構あった、ということなのでしょう。
特に鳥島への漂着例はかなり多く、パラオレースでも協力いただいている海洋研究開発機構(JAMSTEC)でも、はたして高知沖から鳥島へ流れ着くものか。黒潮との関係は。という解説が出ています。
なるほど、黒潮の蛇行しだいで、鳥島に流れ着く可能性は十分にある、と。面白いです。
黒潮は「パラオレース」でも重要な要素なわけで。
さてそこで、ですよ。こちら〈神社丸〉の方は流れ着いた先がパラオですから。
上図を見ても、いやーよくもまあ流れ着いたものだと感心します。鳥島ならまあなんとかね、と思うけれど。パラオじゃ黒潮に乗ってという説明もできなそうだし。
でも、実際に流れ着いたわけで。
で、次の問題が、鳥島と違ってそこは外国パラオであるというところ。
鎖国というのは外国人(キリスト教徒)の入国を禁ずるだけではなく、日本人の海外渡航はもちろん一旦海外に出てしまった日本人は再入国はできないという決まりだったわけで。
遭難の後無事助かったとしても、日本に帰ってくるのが、日本に帰った後が、大変だったようで。この部分も“漂流”なのです。
江戸時代に遭難し外国船に救助され海外に渡った人の記録をまとめた論文があります。
『接触と変容の諸相 : 江戸時代漂流民によるオセアニア関係史料』
いきなりPDFファイルがダウンロードされてしまうのですが→こちら(pdf)から
中に冒頭の〈神社丸〉のケースも出てきます。
とりあえずこちらを読んでいただいて、続きはまた次回。
続く