外洋レースの憂と悦|新田事務局長に聞く
「パラオレース 2024」を終えて。
2019年の暮れに横浜をスタートした「日本-パラオ親善ヨットレース」から4年。第2回となるこの大会も、神奈川県セーリング連盟が主催、貝道名誉会長・末木会長の全面的な理解と協力の下、外洋東京湾、外洋三崎、三浦外洋セーリングクラブ、外洋湘南の有志等によって企画運営されたわけだが、今回は横浜からパラオまでの「日本-パラオ親善ヨットレース」に加え、パラオをスタートし沖縄を目指す「パラオ-沖縄ヨットレース 2024」も続けて行われた。さらに、日本セーリング連盟(JSAF)とJSAF外洋東海が共同主催する「沖縄-東海ヨットレース 2024」にも出れば、日本の南に広がる海 ─南洋─ をぐるっと回るグレートトライアングルといっても良いニッポン人の海洋心を揺さぶるイベントに発展したともいえる。
発端となった2019年の「日本-パラオ親善ヨットレース」の言い出しっぺで、今回もレースの共同主催者としてレースを企画し自らも出場した日本パラオ青少年セーリングクラブ(JPYSC)の新田肇事務局長にお話をうかがった。
高槻:
「パラオレース2024」無事終了しました。
今のお気持ちは。
新田:
ズバリ、頭の中は5年後の第3回大会開催のことでいっぱいです。
高槻:
えー、もうですか?
新田:
ええ、特に沖縄サイドが乗り気で。
レース終わってから、「なんだ言ってくれれば出たのに。レースやるの知らなかった」なんて沖縄に艇を置いているオーナーから言われたりもして。
高槻:
2019年の末に横浜をスタートした第1回は、パラオでフィニッシュしてそこでおしまい。それが今回はパラオから沖縄までのレースも続けて行われた、と。
新田:
そう、与那原ですね。沖縄本島の東側になるので、パラオから行くには調度良い。
次回は「与那原-パラオ」、「横浜ーパラオ」を同時に開催しようと思ってます。で、両レースの参加艇が揃って「パラオ-与那原」へという3本立てで。
高槻:
すごいなぁ。パラオ-沖縄は海も風も良さそうですよね。
新田:
5年後というのは、「沖縄-東海」のない年ということです。で、その「沖縄-東海」の無い5月のゴールデンウイークの時期に行いたい、と。
「パラオレース2024」実行委員会及び日本パラオ青少年セーリングクラブ(JPYSC)の新田肇事務局長
高槻:
なんか壮大なイベントですねぇ。参加艇集まりますかね。
新田:
そう今回も、実は昨年(2023)12月の時点で参加艇が1艇しかいなくて。
高槻:
それも新田さんの〈トレッキー〉のみ。
新田:
ええ、私は言い出しっぺなので、レースが成立しなくても1艇でも走るつもりでしたけど。
高槻:
2023年の5月頃に行われた事前説明会には何艇か集まってたんですよね。
新田:
ええ、それ以外にもさらに何艇か話は来ていたので、8艇から9艇は集まりそうとホクホクしてたんですけど。実際エントリーが始まったらみなさんクルーが集まらないって言い出して。
高槻:
3月10日に横浜をスタートして、パラオまでが約12日。3月31日にはパラオをスタートして沖縄までだと全部で約1ヶ月かかる大イベントですからね。
新田:
前回は年末年始だったけど、今回は3月から4月でしょ。続くゴールデンウイークには「沖縄-東海」があるわけで、その前の1ヶ月ですから。そんな長い休みをとれる人はなかなかいませんよね。
高槻:
で、最低開催要件を5艇から3艇にしたのが10月31日。
新田:
それでも集まらなくて。12月の時点ではもうレースは中止だなと。それでも伴走の帆船〈みらいへ〉の方は笹川平和財団海洋政策研究所(OPRI)の国際海洋人材育成プロジェクトですでに乗船者を募っていたもんで。こちらは辞められず……というかパラオまで走るわけですから。やっぱり〈トレッキー〉だけでも横浜→パラオ→沖縄→東海と走るつもりでした。
国際海洋人材育成プロジェクトとして帆船〈みらいへ〉もレースに伴走した
高槻:
執念というか、それだけ南洋に魅力があるってことかな。僕の方でも、レース以外に南洋の島々を巡るクルージングの可能性について書いてくれといわれて、何本か記事を書きました。行ったことないけど。これも確かに可能性ありだとは思う。
新田:
で、そうこうしてたら、広島から〈ゼロ〉がエントリーを表明してきたんだけど、まだ2艇なんで。主催者サイドでもすっかりレースは中止という雰囲気になってきちゃって。でも、レイトエントリー締切の1月末までは待ちましょう、と。
高槻:
で、〈PALMA II〉がなんとか最後の1枠を埋めてくれた、と。
新田:
私の古い方の艇(ELLIOTT13 Custom)があったのでそれを使っていただいて。
このレースはカテゴリー1で行われるので、艇と人のエントリー条件を満たすのもすんなりはいかないんです。で、すでにカテゴリー1を取っている私の旧艇を使っていただいて。
高槻:
で、〈ゼロ〉は3人乗り。〈PALMA II〉は4人。〈トレッキー〉も4人とショートハンドのフリートになりました。
新田:
ええ、うちも前回は40ft艇に9人乗りでしたから、今回はその半分以下。まあ、今回のCLASS40はショートハンド仕様の艇なんで。4人で十分かな。
高槻:
〈Zero〉なんか、「パラオ-沖縄」は2人乗りでしょ。
新田:
「横浜-パラオ」も、早い段階で1人怪我しちゃって、ほぼダブルハンドだったそうですよ。艇のほうもトラブル続きで、それであのペースで走り切ったんだから、相等の実力じゃないかなと。
高槻:
新田さんの〈トレッキー〉はスタートしてすぐに西へ逃げた。
新田:
低気圧が来るのは分かっていたので、とにかく艇を壊したくなくて。沿岸沿いに串本まで行くつもりだったんだけど、向かい風になって進めなくなっちゃって。
高槻:
で、伊良湖に入ったと。港としてはむき出しで避航には向かないでしょ。
新田:
うん、最悪だった。(笑)
高槻:
前回も同じように西に逃げましたよね。
考えてみれば、西にいた方がより早く低気圧が通過して吹き返しの北風に乗ることができるわけで。
“何がなんでも完走する”という意気込みが感じられました。
新田:
今回のレースが成立しないと、もう次は考えられないから。とにかく艇を壊さないようにと。
荒天が予想されるならスタートを延期すべし、という意見もあるんだけど。私はスタートするかしないかはあくまでも艇とスキッパーが決めることだと思うわけで。
高槻:
2日後に時化るからって、いつまで延期すれば良いんだよ、と。
で、そして、みごと2艇が完走したわけで。
次回は……最初からショートハンドのレースって定義にしても良いんじゃないですかね。40ft艇に3人~4人乗りで長距離の外洋レースというスタイル。今後増やせるじゃないでしょうか。
新田:
クルー集めが相当楽になるでしょうね。
高槻:
ヨットで飯食ってるセーラーは業者も入れれば国内にもざっと10人位はいそう。もっとかな。オーナーと、自分とこのクルー1人と、助っ人1人の3人乗りで、って考えれば10艇くらいは集まりそうですよね。
新田:
ええ、うちも、野田はペイドクルーです。ずっと乗ってる仲間で、普段から艇の整備や準備をすべて任せています。
高槻:
いわゆるボートキャプテン。
新田:
お父さんが〈都鳥〉のクルーで。小学生の頃からヨットに乗らされて、ヤマハのヨット教室で箱守/飛内といった大物に仕込まれた男です。
高槻:
〈都鳥〉といえば〈サンバードⅤ〉と同型の54ftで、帝国海軍でいえば大和と武蔵みたいな70年代の日本の外洋ヨットを象徴する大型艇の1つですよね。〈都鳥〉のオーナーにハワイで遭って飲みに連れてって貰ったことあるなぁ。ヒルトン最上階のラウンジで「一曲歌え」って言われて。
新田:
そのコワモテ〈都鳥〉の名物クルーだったみたいで。その息子ですから、オヤジさんと顔がそっくりらしいですよ。
高槻:
「沖縄-東海レース」はその野田さんがスキッパーで出場。これで横浜→パラオ→沖縄→蒲郡、と、北西太平洋というか、日本の南、かつて南洋と呼ばれた海域を走り切ったと。
〈PALMA II〉が「横浜-パラオ」の出だしでリタイアしちゃったんで僅か2艇になっちゃいましたけど、僅か2艇、されど2艇が、南洋をぐるっと走り切ったって、日本の外洋ヨット史に残りますね。
新田:
はい、私は「沖縄-東海」のスタートを見送ったあとパラオへ飛びました。
パラオセーリング協会(PSA)にOPディンギーを寄贈して現地で行われているユースプログラムを支援しているのですが、その一環として7月に横浜で行われるOPクラスのレースにパラオの子供たちを招待しています。
高槻:
「横浜港ボート天国ディンギーヨットレース」レースですね。昨年取材に伺いました。
新田:
今年もやります。で、その選抜レースが行われたのです。
日本パラオ青少年セーリングクラブ(JPYSC)から日本の若者をコーチとしてパラオに派遣しています。これはJAICAとの民間連携協定に基づき海外青年協力隊の活動として行われているものです。2年の任期で、来年度(2025年10月から)の入替隊員は現在選考中で近々決定する予定です。併せて2025年1月から7月までの短期隊員も現在日本パラオ青少年セーリングクラブとして募集しています。
高槻:
今回の「パラオレース2024」もJPYSCの共同主催で、と、そんな関係ですね。
ああ、PSAのユースプログラム出身セーラーがこの後の「日本-パラオ親善ヨットレース」にクルーとして、いや、オーナースキッパーとして出場するようになったらすごいなぁ。
新田:
はい。いや、十分ありえますよ。それまで長生きしなくちゃぁ。(笑)