おめでとう、Zero!|パラオで表彰式&パーティーが開催されました
3月28日18:00から、パラオ・マラカル島のSam’s Dive Toursにて、日本-パラオ親善ヨットレース2024の表彰式&パーティーが開催されました。
会場には、〈Zero〉、〈1122トレッキー〉の選手のほか(リタイアした〈パルマII〉は不参加)、来賓、関係者、帆船〈みらいへ〉の乗員の皆さん、また3月30日に開催される「日本-パラオ共和国外交関係樹立30周年記念 パラオ日本親善OPディンギーレース」に参加する日本とパラオの子どもたち、Palau Sailing Associationの関係者などが集まり、南国らしいリラックスした雰囲気の中でのセレモニーとなりました。
オープンエアの空間が心地よい会場は、美しいパラオの海に面しています。いかにもビーチリゾートらしい雰囲気の中での表彰式&パーティーは、このレースならではのものといえると思います。
総合優勝を飾った〈Zero〉の山田克弘オーナー(右)と山本寅太郎さん(もう一人のクルーである西 啓さんは不参加) 。〈1122トレッキー〉に大差をつけての総合優勝はお見事でした。
「横浜をスタートして、まずは黒潮の北流を避けるために、大島の南を通って新島の西を目指しました。ちょうどそのころには、強烈な低気圧が通過することを事前に把握していましたが、そこまで風が上がっていない段階で、虎の子の一番大きなジェネカーをバースト。そんな中で、風が強くなる前に1ポイントリーフ(約50%まで縮小できる)とヘビーウェザージブを用意し、嵐に向けての準備をしておきました。しかし、本当に吹き始めたときには一瞬でジブハリヤードが切れ、海に落ちてなくなりました。さらにオートパイロットが故障、またワイルドジャイブの際に仲間の一人(西さん)が腕を負傷し、以降はダブルハンドでのセーリングをせざるを得ない展開になってしまったんです」
嵐に遭遇した3月12~13日の2日間には、マストトップのウインドトランデューサ―、ダンブイなども失ってしまうなど、序盤戦から大きなダメージを受けることになったといいます。
「これらを失って嵐が去った段階で、〈1122トレッキー〉さんは百数十海里後ろにいるとわかっていたので、あとはセーフティーに行こうと。例えば夜はフリーでもジブで走るようにしたりと、安全第一で行くことを心がけたわけです。それでも、〈1122トレッキー〉さんが、100海里、70海里、50海里と、だんだん迫って来る。追われるほうの立場としては、艇の性能差があるとわかっていても抜かれたくはないので、すごく緊張しました。結果的に優勝することができたので、本当にうれしいです」
総合優勝、2位、ラインオナー(ファーストホーム)に送られた盾は、環境に配慮して木材を使って作られた特別なもの。レース中に参加艇はマイクロプラスチック拡散に関する調査も行っていますが、そういった趣旨にも合ったものであり、なによりパラオの人たちにも大変好評でした。
2位の〈1122トレッキー〉の皆さん。右から、芳原 篤さん、新田 肇オーナー、野田宗之佐さん、岩見顕久さん。ラインオナー(ファーストホーム)とベストナビゲーター賞でも表彰されました。
3月30日に開催されるパラオ日本親善OPディンギーレースに参加する、パラオと日本の子どもたちもパーティーに参加。〈Zero〉と〈1122トレッキー〉への質問コーナーも設けられ、子どもたちから外洋セーリングの「?」について、山田オーナーと新田オーナーの2人が丁寧に面白く解説してくれました。
2つの国をつなぐ国際ヨットレースとあって、前回大会の実現の立役者であるトーマス・エサン・レメンゲサウ・ジュニア/前パラオ共和国大統領(中央)のほか、在パラオ日本国大使館の折笠弘維 特命全権大使、藤木幸太 大会会長など来賓の皆さまにも参加いただきました。
さて、前回大会とは違い、今回は日本までの復路にもレースが開催されます。
目指すは沖縄・与那原(よなばる)沖のフィニッシュライン。「パラオ-沖縄ヨットレース2024」は、3月30日にスタートします。
このレースでも、古野電気さん協賛の「ichidake」のサービスで、レース中の各艇の動向が、ほぼリアルタイムでご覧いただけます。下記のバナーをクリックすると、特設サイトがご覧いただけます。
(文・写真=日本-パラオ親善ヨットレース2024実行委員会/広報)