ヨコハマの歌

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パラオ共和国大統領の特別顧問の方とお目にかかり、パラオの話をいろいろと仕込んでまいりました。こうご期待。


というところで、今回は「2019-2020 日本-パラオ親善ヨットレース」のスタート地点となる港ヨコハマについて。

実をいうと、私、「横浜市歌」が歌えます。横浜育ちなもので。

調査によれば、横浜育ちの人の86%は横浜市歌を歌えるんだそうな。(はまれぽ.com調べ)

私の場合、横浜育ちといっても高校卒業後には家を出て、流れ流れて今は横須賀住まい。
というと、
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド 1975)にありましたね。“ハマから流れて来た娘だね” って。

あー、いやいや、ヨコハマです、横浜。

歌のタイトルになることが多い横浜。
「よこはま・たそがれ」(五木ひろし 1971)
とか、
もう少し前だと、
「ブルー・ライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ 1968)

もっと遡れば、
「港が見える丘」(平野愛子 1947)
と、
こちらは終戦直後のヒット曲ですが、後にいろいろな歌手がカバーしていて、個人的にはちあきなおみバージョンが好きです。

この曲、タイトルにも歌詞にも“横浜”は出てこないので、神戸港が舞台じゃないかというご意見もあるようですが。
横浜には「港の見える丘公園」がありまして。となれば、やっぱり横浜の歌と判断してよろしいのではないか、と。

と言いつつ、行ったこと無いのです。港の見える丘公園。

これは行かねば。
というところで、まずはみなとみらい線、日本大通り駅で下車。横浜開港資料館でいくつか資料を仕入れます。

横浜市歌では、

“ むかし思えばとま屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ ”

と歌われているように、その昔はわずか100軒ほどの半農半漁の小さな村だった横浜が、幕末の開国と共に一気に栄えたわけで。ここ横浜にとって“開港”こそがすべての始まりなのです。

幕末と言っても、さほど遠い昔の話ではありません。私ら世代にとって曾祖父はもう生まれていたわけで。
つまり、横浜の歴史は短く。それだけに濃厚で。開港資料館に行けば、様々な資料が手に入ります。
まあ、そのあたりは、おいおいと……。

資料館からブラブラと『横浜歴史散歩ガイドマップ』なんか見ながら歩いて「港の見える丘公園」へ。

この辺りをなんでフランス山というのか? はまた別の機会にゆずるとして、
その名の通り、丘の上で。
その名の通り、港が見えます。

横浜市歌では、煙が “ ちらりほらり ” に続いて、

“ 今はもも舟もも千舟 泊るところぞ見よや ”

とあるのですが、今の横浜港はまさに歌詞のとおり大きな船が行き交い、作詞の森林太郎(森鴎外)先生がこの光景を見たら、「いやいや、ここまでなるとは」と絶句しそう。

港の見える丘公園からは横浜ベイブリッジ(1989年開通)も見えます。

いやー、ここからヨットがスタートして南洋へって。これ、かなりワクワクしませんか。

スタートまではまだ1年あるので、ここ横浜の歴史もぼちぼちと振り返っていきたいと思います。
欧米列強に迫られて横浜開港に至るのが1859年。そのころすでに、西欧人の船は南洋パラオにも訪れていて、1885年にはスペイン領となるわけで。
そして、1920年。2000マイル離れた両国の歴史は一点で交わるわけで。

[hama-01 / taka]