時代は巡る
前回、
からの続きです。
千石船が番船レースで覇を競っていた1853年。
江戸時代の人々の度肝を抜いた黒船とは……
日本人が初めて見る蒸気船で、しかも巨大な軍艦だった。
ということのようです。
当時はまだ新興国だった米国が送り込んできた、東インド艦隊の4隻は、
旗艦〈USS Susquehanna〉(全長257ft)と〈USS Mississippi〉(全長229ft)、2隻の帆走/蒸気船。
〈USS Saratoga〉(146ft)、〈USS Plymouth〉(147ft)、2隻の帆船。
でした。
これが、どのくらい大きいフネなのかというと。
たとえば、大航海時代の先駆けとなった、コロンブスの大西洋横断で使われた〈La Santa María〉が全長85ft。文献によって数字がかなり違うのですが、千石船(全長約100ft弱)より小さいわけで。これが、1492年のお話。
マゼランの世界周航では、5隻のうちただ1隻スペインまで戻ってきた〈Nao Victoria〉が、全長28m(93ft)。これが、1519年-1522年
大西洋横断の方はまだしも、地図の無い時代に、よくぞ世界一周したな、と思いますが。
時代は進み、キャプテン・クックが乗った〈HMS Endeavour〉が1764年の進水で、全長29.77m(97ft8in)。
と、全長からするとちょうど江戸時代の千石船くらいの大きさということになります。
〈HMS Endeavour〉は復原されていて、一般公開されています。
ワタシも乗りました。これでも結構デカイです。
ジェームズ・クックによる航海は1768年から1780年まで、3度に渡って探検と調査、測量という、いわば大航海時代の仕上げのような任務だったといえます。
そして、探検から覇権争いへとフネの時代は進み、
帆船全盛期の軍艦と言えば、トラファルガー沖海戦(1805年)で活躍した英国海軍の旗艦〈HMS Victory〉で全長227ft。
この頃の1等戦列艦で、両舷3層に大砲が並んでおり、見上げるような舷側は威圧感があります。
この船、今もポーツマス港の乾ドックに保存されてるそうです。復原ではなく、当時のフネそのものを。
一方、米国海軍の〈USS Constitution〉は、1797年就役のフリゲート艦で全長は207ft。
こちらはいまだに走れる状態に保たれており、米国海軍の現役艦扱いになっています。
こうして比べていくと、1853年に浦賀沖に現れた〈USS Susquehanna〉(全長257ft)がいかに大きかったか、分かっていただけるかと。
全長で、千石船の2.5倍以上。単純に計算して長さが2.5倍なら、デッキの面積は6.25倍、容積は15倍以上になるわけで。
そのうえ蒸気船。
……といっても、実際には、当時はまだ蒸気船のメリットはさほどなく、特に荷物を運ぶ商船では、重くてかさばる蒸気機関や燃料の石炭を積まなくてすむ帆船の方がメリットがあったもよう。
インドから英国に紅茶葉を運ぶティークリッパーとして有名な〈Cutty Sark〉は、この後、1869年の進水です。
これが全長286ft。デカイ。
ちょうどこの頃スエズ運河が開通し、商船でも蒸気船のメリットが出てくるわけですが……。
軍艦としても、〈USS Susquehanna〉はまだ外輪船のため、大砲を並べるスペースが減るとか、攻撃する側からすれば外輪部は良い標的になってしまう、と、必ずしも優れていたとはいえなかったようです。
それでも、江戸湾の奥まで船を進めるには、無風時でも動ける蒸気船はメリットがあったはずで。
なにより、煙を吐きながら外輪を回し、力強くその黒い巨体を進める姿は、江戸の人々の度肝を抜かす効果が大きかったことでしょう。
黒船来航は、日本にとって大きな時代の節目となったわけですが、
世界的にみても、”フネで海を渡る”ということに関して、帆船から汽船へと変わりゆく、大きな時代の変わり目でもあったわけです。
今では帆船は遠い昔の海のロマンみたいな扱いですが、そんな帆船時代の船乗りの心意気を今に繋ぐのが、外洋ヨットレースなのです。
[hama-03 / taka]