日本丸パラオへ航く
前回、
の続きです。
横浜にはあちこちに博物館があります。
中でも今回は、「帆船日本丸」と「横浜みなと博物館」へ行ってみました。
〈日本丸〉は、昭和5年(1930)に竣工した4本マストの練習帆船で、戦時中はマストを倒して石炭などの輸送任務に従事していたそうですが、戦後の昭和27年には再び帆装され訓練航海の任についています。
昭和59年(1984)に〈日本丸Ⅱ世〉が就航するとこちらは引退。
現在は横浜市の所有となり、みなとみらい21の横浜ランドマークタワーと新港ふ頭の間にある日本丸メモリアルパークで展示、公開されています。
実をいうと、このての練習帆船、実は汽船でマストとセールはオマケで付いているに違いないと思っていたのですが、いやいやモノホンの帆船ですね、これ。すいません。
一番後ろのマストに横帆がないこのような帆装をバーク(barque, barc, bark)というもよう。
なんて、改めてどこにどんな帆を……と思い浮かべながら間近で見ると、いやはや、海の上で展開、縮帆、と作業はたいへんだろうなぁ。実物を目の前にすると、操ってみたくなりますね。
帆船での生活はシーマンシップを身に付けるためには避けては通れないものなのでしょう。
特に、西欧諸国が大型帆船を駆って大洋を走りまわっていた17世紀-18世紀に鎖国を続けて内にこもっていた我が国としては、開国して世界の海に打って出たこのとき、改めて帆船運用の経験を積んでおく必要があったのでしょう。
そんな伝統が、今の外洋ヨットレースの根幹にもあると思うのです。
〈日本丸〉は、シスターシップの〈海王丸〉と共に、50年以上に渡って合わせて2万人以上の船員を養成しています。
我々ヨット乗りなら、船内を見て回れば帆船内での生活をうかがい知ることができ、実に興味深いです。
昭和11年の航海ではパラオにも行ってますね。
1936年ということは、すでにパラオに南洋庁本庁が置かれていたときですが、〈日本丸〉がパラオに寄港したのはこのときだけみたい。同じミクロネシアのポナペ(Phonpei)には、処女航海も含めて何度も行ってるようです。泊地がいいのかなぁ。
と、グーグルマップを見てみると……ふむふむ、西側のMadolenihmw Bayあたりが良さそうだなぁ……なんて、地図を見ながら心の中でウロウロするだけでも楽しいなぁ。
〈日本丸〉のすぐ横には「横浜みなと博物館」もありまして、これがまた展示が充実。
横浜港の歴史から、大さん橋の構造。現在の港のしくみに造船の話なんかも詳しいです。
そうそう操船シミュレーターもあったりして。これがまた、操舵から船が回頭しはじめるタイミングなんかが絶妙で、結構楽しめます。
で、日本丸と横浜みなと博物館、両方じっくり見てたら午後はまるまるつぶれちゃう感じ。いやいや、もう一回行ってもいいなぁ。
他にも、海と船と港に関するものなら、
なんかも良さそう。
横浜は幕末に急に開けた街で歴史は短いのですが、外国から目新しいものがどんどん入ってくる文明開化の玄関口であり、明治時代としては未来的な街だったわけ。短いけれど濃密な歴史といったらいいか。
大さん橋なんか、「メリケン波止場」と呼ばれていたんですよ。
そんな「明治時代の未来図」が今でも街のそこここに残っており、古いような新しいような、不思議な空間なのです。横浜は。
前回は、──「みなとみらい」なんて地名にしちゃって、未来になったらどうするんだろう── なんて書いちゃいましたが、22世紀の未来にはここもそんな空間になるのかも。
[yokohama-07 by taka]