帆走カヌー

[palau-05]

今から38年前。私が26歳のときのお話。
54ftのヨットで三浦三崎を出、オーストラリアはシドニーへ向かっていました。

11月27日、昼すぎ、ミクロネシア連邦 サタワル島の西を通過したところで、3隻のセーリング・アウトリガーカヌーに遭遇します。
当時の航海日誌には、

太平洋の真っ直中をたいしたもんだ。
「サヨナラ」と日本語で声をかけてきた。

とあります。


この映像はメラネシアのもののようですが、たしかこんな感じの舟でした。
左右非対称のカタマランをプロア(proa)というんだそうな。前後には対称で、つまり船首も船尾も同じ形。タックをすると前後が入れ替わります。

あのときは、おそらく魚を捕っていたんだと思います。ほんとに海の真っ直中だったんで、遊びじゃああんなところまで来ないと思うから。
で、すごいなぁ、と。


前回の「ルーツを探る ①」[palau-04]は、ポリネシア人達がサモアに到達したところまででした。

サモアでポリネシア文化を熟成させた彼らは、今からおよそ2000年前に再び移動を始めます。
クック諸島、ソサエテ諸島(タヒチ)を経て、ハワイには1500年ほど前には到達していたようで、その移動には、双胴の大型帆走カヌーが用いられていたと考えられています。かなり広い海域なので。

最後にニュージーランド(アオテアロア)にたどりついたのが、今から1000年ほど前、つまり10世紀頃ですが、不思議なことに西欧人が帆船でやってきた17世紀には、ポリネシア人には外洋を渡る船もそれを操る技術も無くなっていたんだそうな。

本当にカヌーで大洋を渡れるのか?

月日は流れ、1975年。
アメリカ合衆国建国200周年記念事業の1つとして、この伝説の大型カヌーが復原されます。
それが〈ホクレア:Hōkūleʻa〉。

〈ホクレア〉は全長62ftの双胴カヌーで、翌1976年、コンパス無しの古式航法でハワイからタヒチまで2600マイルを走りきります。古代のポリネシア人が、船で広い太平洋を走りまわっていたことを証明して見せた、ということ。

このときナビゲーターを務めたのが、サタワル島のマウ・ピアイルック(Mau Piailug)です。つまり、ポリネシアでは伝説となっていた幻の古式航法が、ミクロネシアでは伝統技術として受け継がれていたということですね。


そしてこちら、レストアされたミクロネシアのセーリングプロア。
乗艇しているピンクのシャツのかたこそがマウ・ピアイルックのもよう。


この映像は2009年6月公開となっていますが、撮影したのは何年か。
マウ・ピアイルックは2010年7月12日、78歳で亡くなっており。となると、2005年位の撮影かなぁ。

レストアされたということは、その時点でもうこのての帆走カヌーは実用に供されなくなっていたということか。

ということは、1981年のあのサタワル島沖での邂逅は、ほんとに貴重なものだったということで。あーもったいないことした。もっと興奮しとけばよかった。

といっても、GPSの無いあの時代。ヨットの航海でも太陽や星を使ってナビゲーションをしていたわけで。
GPSがあたりまえの今では、天文航法自体がもう古典で。いや推測航法も地文航法も、大航海時代から受けつがれた古典航法ということになっちゃうのかも。

「日本-パラオレース」では、クルージングクラスは無いの? という問い合わせが多いそうな。
GPS使用禁止の古典航法クラスがあっても面白いのでは?

[palau-05] by taka