ルーツを探る ①

[palau-04]

「日本-パラオ親善ヨットレース」のフィニッシュはミクロネシアに浮かぶ島、パラオです。

ミクロネシア…………?

太平洋は大きく、ポリネシア、メラネシア、ミクロネシアに分かれる、というのは[palau-02]で紹介しました。

今回は、なんで3つの文化圏に分かれるのか? のお話です。

まずは、そのルーツから。

話はずーっとさかのぼり、
今から5万年から7万年ほど前のお話。
アフリカで誕生した人類のご先祖さまは、移動を開始します。
これが出アフリカ。

北から、コーカサス山脈を越えてヨーロッパに出たのがコーカソイド
アジアに出たのがモンゴロイド
そして、インド南部から今のニューギニア方面へ進出した人々をオーストラロイドと呼びます。
アフリカに残ったネグロイドと合わせて、人類はこの4つに大別できるんだそうな。

まあ、ぞろぞろ移動するというより、何世代にもわたってナワバリを広げていくという感じなんでしょうが。5万年という気が遠くなるような時間の経過があるとはいえ、身体的な特徴にこんなにも違いができるなんて驚きです。
単に肌の色だけじゃないですから。骨格、髪質、気質までも。そしてそれが、微妙に入り混じっていて。
いやー、すごく不思議。


こうして、人類は世界中に広がり、生活をしていくわけですが、今から5000年ほど前、今の台湾あたりにいた人々が船で南下を始めます。
いやこれ、記録があったわけではなく、研究による仮説ではありますが。これまで様々な説があった中で、どうやらこれが正しいのではないか、という話。

台湾人といっても、現在大多数を占めるチャイニーズではなく先住民族で、オーストロネシア語族(マレー・ポリネシア語族)とも呼ばれる人々。で、これぞまさしくポリネシア人、ミクロネシア人の祖であり、さらにいえば、日本の縄文人の祖でもあろうと言われています。

まあ、確かに、台湾から舟で出るならまずは黒潮に乗って北へ行こうとする方が自然ですよね。
縄文時代は、約1万5000年前から約2300年前と言われております。

さて、台湾を出て南へ向かった人々は、今のフィリピンを経由してニューギニアへ到達。
そこにはすでに海岸づたいに移動してきていたオーストラロイドの人達が暮らしていました。こちらは何万年も前の話なので、大先輩ですね。

台湾方面から来たモンゴロイドと、出アフリカ直系の先住オーストラロイド。ここで多少は交わりがあったようですが、基本的には別々に暮らしていたようです。
先住のオーストラロイドは今のメラネシア人。後から舟でやってきたモンゴロイドは、ここではラピタ人とも呼ばれています。

ラピタ人はさらに舟で東へ進み、フィジー経由で3000年ほど前にはサモアへ到達。
以降、1000年ほどサモアに定着し、ここで今のポリネシア文化が生まれたようです。

一方、台湾からフィリピンにやってきて、そのまま東へ舟を出し、小さな島々に散らばったのが、ミクロネシア人。
パラオはフィリピンに近く、5000年くらい前にはすでに着いていたようです。
一方、上述のように、ポリネシア文化はサモアで暮らした約2000年前までに熟成されたもの。
ということは、同じ台湾付近の原住民を祖に持つミクロネシアとポリネシアの文化がかなり違っていても不思議はありません。

まあ、今でも謎はいろいろ残っていて、こちら、パラオの謎の石群。いったい何なのか? 住民も知らないということは、その前に住んでいた人達がいたのか?

我々日本国も、国の始まりは神話の世界です。
ということは、同じルーツを持つといわれる縄文人も、どこから来たのかは仮説。
分かっているのは、縄文人もポリネシア人ミクロネシア人同様に、かなりの航海技術を持っていたということ。黒潮本流の外に位置する八丈島からも遺跡が発掘されています。

「八丈島の先史文化」小田静夫(国學院大學考古学資料館紀要 第21輯)

この論文には、「縄文土器とラピタ式土器が酷似している」、なんて記述もあり。いやぁ、夢があるなぁ。

いずれにしても、ミクロネシア人と日本人は同じモンゴロイドであることは確か。
で、どうやらルーツは同じで。同じように舟で海に出て。

それがどんな舟で、どんな航海だったのか。興味津々です。

[palau-04 by taka]