栄枯盛衰
1885年、パラオはスペイン領東インドに編入されます。
で、ここが今一つよく分からないのです。
1885年というと、明治18年ですよ。
この頃には、スペインの国力はすっかり衰えており、なんでこのタイミングなのか、と。
そもそも、新大陸(アメリカ大陸)から西はスペインのもの。東インドはポルトガルのもの、と、条約で決めていました。
と、シンプルなら話は早いんだけど、まだ地図が無い状態で決めたものだから、なんだかヤヤコシク。
1494年のトルデシリャス条約では、新大陸でも東にでっぱっている今のブラジル部分はポルトガルのものとし。
その後地球はやっぱり丸いということが確認され、じゃあ、東インドの東エンドはどこよ? ということになり、フィリピンから東はスペインのもの、と1529年のサラゴサ条約で決めました。
なんかヤヤコシイですが、つまり、16世紀の東インドは、ほとんどがポルトガルの領土だったわけ。
こちらマレーシアのマラッカに今も残るポルトガルの砦跡。
鉄砲伝来もポルトガルからといわれますし、フランシスコザビエルはスペイン人ですがポルトガル王に言われてやってきたわけで。
その後、17世紀(1600年代)にはオランダ、フランス、イギリスも海洋進出し、東インド会社を設立。
18世紀(1700年代)にはキャプテンクックが広く太平洋を走りまわるなど、海上権益を巡る力関係は大きく変化。前回の話題、「プリンス・リー・ブーのロンドン行き」(1783)
の頃には、スペイン、ポルトガルはすっかり落ち目になっています。
そして19世紀(1800年代)。
ナポレオン戦争(1803-1818)では、トラファルガー海戦(1805)で、英国艦隊がフランス、スペインの連合艦隊を撃破。
一方、英国の植民地から独立したアメリカ合衆国は、1789年、ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任。
この時点では、まだ北米大陸の南西部はほとんどスペインの植民地でしたが、1821年にはメキシコ帝国として独立。米国はそこに攻め込み米墨戦争(1846-1848)となります。
米国はこれを勝利し、今のカリフォルニア州をはじめとして南西部(ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド)を領土として獲得します。
浦賀に黒船が来航した1853年というのはそんな時代です。
日米修好通商条約が締結され1859年に横浜が開港。
戊辰戦争(1868-1869)を経て明治元年(1868)に。
で、この間、米国も南北戦争(1861-1865)をしていたわけで……。
そんな1885年に、パラオは数少なくなったスペインの海外領に組み入れられた、と。
これは、時のローマ教皇 レオ13世(Leo XIII)が発した教皇勅書(papal bull)によるもので、スペインにパラオを含む西カロリン諸島の統治権(sovereignty)を認める(grant)というもの。
グアムやサイパン、もっと東のミクロネシアの島々も、16世紀にはスペインが領有宣言していたのに、パラオだけなぜか19世紀になってからのスペイン領有なのか……。
ただし、英国とドイツの通商権(commercial rights)は認めるというものだったようで。
キリスト教のことは良く分かりませんが、カトリックとプロテスタントの争い……というか、揉めないようにスペインの顔を立てて丸く収めるという意味があったのかも。
いずれにしても、この後すぐ、1898年にはアメリカとスペインの間で米西戦争が起き、スペインは負け。パリ条約により、スペイン領だったフィリピンの統治権は米国に譲渡されます。
同時に、パラオを含むカロリン諸島はスペインからドイツに売却されます。
いやー、大航海時代が始まった16世紀から17世紀、18世紀、19世紀と、戦争、紛争、侵略、征服、と世界は激動ですね。それぞれ、歴史には裏表があり簡単には説明できないんでしょうけど。
ヨーロッパの国々の栄枯盛衰が、遠くアジアにまで及ぶわけで。
そんなドイツは、大航海時代に乗り遅れた国といってもいいかと思いますが、1914年から第1次世界大戦が始まります。
英国の同盟国として連合国陣営に属していた日本は、ドイツに対して宣戦布告。
ドイツ領だった青島(チンタオ)に攻め入ります。
同様にドイツ領のパラオにも。
結局、ドイツ帝国はオスマン帝国と共にこの大戦に破れ、1919年、国際連盟はドイツ領だった島々のうち、ニューギニアなど赤道の南の島々をニュージーランドとオーストラリアへ、パラオを含む赤道から北のミクロネシアの島々は日本へと、委任統治を認めました。
委任統治とは、
こうして、グアム島を除くマリアナ諸島、カロリン諸島、マーシャル諸島は、日本委任統治領南洋群島となり、行政庁としてパラオのコロールに南洋庁が置かれることになりました。
[palau08 by taka]