攘夷、英仏蘭米

[yokohama-05]

1859年。攘夷論かまびすしい中、幕府は開国を決めるわけですが。
開港場として、半農半漁の寒村、横浜村が選ばれたのは、そこに何も無かったから。

米国側では、対岸の神奈川湊をイメージしていたようですが。
神奈川宿といえば、東海道五十三次の3番目の宿場です。

賑やかだったんでしょうねぇ。

今でいうと、横浜駅のちょっと北。JRの東神奈川駅とか、京急だと仲木戸駅あたりでしょうか。
今度、散策に行ってみよっと。


幕府にとっては、武力をちらつかされての嫌々の開港だったわけで。
何もない横浜村を外部から遮断するため、改めて掘り割りを設け出島にしました。

こちらの動画は、1854年から2011年までの横浜港の変遷の様子。
奥の部分も埋め立て地だったそうで、江戸時代の土木技術ハンパなし。

ということで、横浜港は江戸時代末期に徳川幕府が作った港です。
これで開国、メデタシメデタシ……、のまったく逆で、この開港が引き金となって国内は揉めに揉めるわけですが。

で、時の将軍は……誰だっけ?

ペリーの来航が1853年7月8日。米国大統領からの親書を渡しに来たわけで、帰途についたのが7月17日。
その親書を渡すべき第12代将軍 徳川家慶は病気で伏せっており、直後の7月27日に61才で亡くなります。
続く第13代 徳川家定は病弱で、ほとんど人前には出ないような人でした。
5年後の1858年7月29日に日米修好通商条約が締結されますが、2週間後の8月14日には35才で死去。
そこで将軍職に就いた第14代 徳川家茂はわずか13才。

と、老中とか後見職が切り盛りするトップ不在のこの時期に開国開港の話を進めたことで、国内の攘夷勢力に火を付けてしまったわけで。
いや、トップ不在だからこうなってしまったのか。

ここから先、明治維新のできごとは、小説やドラマでもいろいろありすぎて。どこまでが史実でどこからがドラマなのか、何が正義で何が邪なのか。「新説!!○○」、なんてのが出てきたり。

じゃあ、中学の歴史の授業ではなんて教わったんだっけと思い教科書を買ってみましたよ。副読本の『教科書ガイド』だけど。この時期、あまりにもいろんな出来事がありすぎて、だめだ、わからん。

webサイトでヒットした、これ↓がすごく分かりやすかったです。

この中で一番の出来事は、
1864年の四国艦隊下関砲撃事件だと思うんですよね。
黒船来航より、こちらの方が大きな事件というか出来事かと。

この四国は香川や徳島の事じゃなくて、英、仏、蘭、米の4ヶ国のことです。
この4ヶ国が17隻の蒸気軍艦からなる連合艦隊を組み、下関の長州陣地を攻撃。壊滅的な打撃を与えます。
事件というより、戦争ですな。

これ、中学の教科書にも出てきます。
が、史実に名前が付けられていません。別に、「生麦事件」と「薩英戦争」は出てくるけど。


話は戻って、
開港後の横浜には、宣教師がやってきて外国人居留地には教会ができます。
が、これは外国人居留地内だけの話で、明治政府は、「五箇条のご誓文」の翌1868年4月7日、「五榜の掲示」でキリスト教の禁止を改めて掲げます。

尊皇攘夷を声高に叫び幕府を倒してできた新政府ですから。攘夷は無理と諦めたとして、神道を国教としたところにそれより偉い創造主(god)をいただくキリスト教はまずかろう、と。

実際、パラオを含む西カロリン諸島は、1885年にローマ法王の発した教皇勅書によって、いともあっさりとスペイン領となってしまうわけですから。

ところがこちらも、列強からの強い圧力により、1873年(明治6年)には取り下げることになり。
ここから本格的にキリスト教の布教が進むわけで。
そう考えると、我が国も、他の新世界同様、武力をちらつかされてキリスト教の布教をしぶしぶ認めたということになりますか。

現在横浜山手にあるカトリック山手教会も、元は横浜居留地にあったもの。
当時の布教は、カトリックはフランス人、プロテスタントは米国人によるものが多かったようです。
スペイン、ポルトガルは出る幕無しって感じ。

山手教会の周りには、ミッション系の学校がいっぱいあります。
正確にはキリスト教系の学校というのか?

横浜だけではないです。改めてみてみると、日本全国にキリスト教系の学校はいっぱいあります。
○○学院なんていうのはだいたいそう。○○学園にも結構多い。
それぞれの卒業生の数を考えると、すごい布教ぶりです。教会で結婚式を挙げる人、多いですもんね。

それでも、お墓はお寺で、初詣は神社に行って、クリスマスにはプレゼントを交換して、という感じの今の日本ですから、キリスト教解禁も、日本政府としては恐るるに足らずであった、と。

こうして考えると、鎖国の目的の一つが禁教だったとすれば、キリスト教を解禁したこの1873年こそが、開国の時ともいえるか、と。
改暦も同じ1873年に行われています。
そもそも、西暦って、キリスト生誕にちなんでいるわけで……。

ということで、旧暦と新暦では日付がずれてます。元号(和暦)と西暦はまた別の話だし。
そのあたりが、幕末から明治初期の歴史のヤヤコシイところでもあります。

[yokohama-05 by taka]