褌いっちょで象の鼻

[yokohama-06]

横浜駅で繁華街というと西口側になりますか。
東口にはデパートがあったけど、その先は? と歩いてみました。

横浜駅東口から海方向へ抜けるとみなとみらいです。
正式には、横浜みなとみらい21。

ワタクシ、横浜市歌は歌えますが、みなとみらいのことは良く知りません。
横浜駅から歩いて行ったのは初めて。

大きなビジネスビルがにょきにょきと建っていて、駅からは歩道橋でずーっと続いており、なんだか天空の都市みたいな感じ。すごいな。
とはいえ、「みなとみらい」なんて地名にしちゃって、未来になったらどうするんだろう。

再開発のアイデアは1965年からあったそうですが、オイルショックやらいろいろあって、1983年からようやく着工に至ったんだそうな。それじゃぁ、ワタシ知らないですわな。

まだ、完成していないそうで、確かにあちこちで工事してます。
いやこれ、未来永劫に渡って開発し続けるのか。サグラダ・ファミリアか。

海まで抜ければ臨港パーク。広々していて良い感じ。
海に向かって裏手には展示場のパシフィコ横浜がありまして。ハイ、ワタクシここ3年、3月の「ボートショー」で毎日通っておりましたよ。
つっても、臨港パーク側に出たことはなかったけど。周辺はこうなってたんだ。

このあたりの海岸線は、北西から南東に向かって伸びており、南側といっていいのか東側と表現していいのか、悩む。……が、とにかく海に沿ってさらに歩いて行くと、新港ふ頭に出ます。

明治後期から大正初期にかけて造成されたもので、当時の国営保税倉庫は今も「赤レンガ倉庫」と呼ばれ、観光地になっています。このあたりも含めて、今では「みなとみらい21地区」なんだそうな。港というより、もう、ずーっと公園って感じ。

この秋には、大型客船が停泊できるターミナル「横浜ハンマーヘッド」も完成するそうですぞ。

ハンマーヘッドとは、その昔、まだバラ積みの貨物船が主流だった頃に荷役で活躍したクレーンのことです。
今はコンテナ輸送になったので、貨物埠頭は南の本牧ふ頭や正面の大黒ふ頭等のコンテナターミナルになっています。

さらに進むと、大さん橋。
横浜港で最初にできた桟橋で、といっても横浜開港から27年も経過した明治19年から設計、工事に入り明治27年(1894年)にやっと完成しています。

ということは、それまでは外航船が直接接舷できる桟橋はなく、みな沖に錨泊。貨物も人もはしけ(艀)に乗り移って上陸していたんだそうな。
当時のはしけは、褌一丁のアンチャンが練櫂(ねりがい)で漕ぐようなものだったようで、外国人からしたらポリネシアの島とさほど変わらなかったのかも。いやはや、小さなはしけでいったい何往復したことか。

そんなはしけを着けたのが、今も大桟橋の根元に残る「象の鼻」と呼ばれる防波堤で囲まれた船だまりです。


横浜開港から30年も桟橋無しというのは、政府にお金が無かったから。
そもそも、武力をちらつかされて嫌々開港したのであって、鉄道の方は明治22年(1872)には東海道本線全線(新橋-神戸)が開通しておりますが、港は後回し、と。

で、いよいよ桟橋を作ろうとなったのは、先に出てきた1864年の「四国艦隊下関砲撃事件」、

このとき幕府が支払うハメになった賠償金を、米国だけが返してくれたから。そのお金を使ってデッカイ桟橋を造ろうと。
このあたりは、『横浜港の七不思議』(田中祥夫:著)に詳しく書いてあります。

どーしてまた米国だけが……というあたりも含めて、また今度。

[yokohama-06 by taka]