海流の中の島々

[palau-15]

日本とパラオの結びつきについて、ここで書き始めたのが昨年の12月4日から。
そして、「日本-パラオ親善ヨットレース」もスタートまで残り2ヶ月となりました。
ここらでまとめてみると……。

まずは日本。

1859年。攘夷論かまびすしい中、開国し横浜を開港します。
といっても、メデタシメデタシ、ということではなく、英仏蘭米と揉めるのは、この後。

1864年、英国、フランス、オランダ、米国の4ヶ国が17隻の蒸気軍艦からなる連合艦隊を組み、下関の長州陣地を攻撃。壊滅的な打撃を与えます。
これが「四国艦隊下関砲撃事件」。
事件というより、戦争です。

日本はボロ負けし、江戸幕府は多額の賠償金を支払うことに。

米国だけはこの賠償金を返金してくれて、それを元に横浜の大桟橋が建設されます。

こうして日本は世界の中に出ていきます。
これが日本にとっての大航海時代の始まりともいえるわけですが。


一方パラオも、スペイン、ポルトガルに端を発する大航海時代の中で西欧人との関わりが生まれます。

1579年のSir Francis Drake(英)から始まり、スペイン人も来訪。
英国船でロンドンへ渡ったリーブー王子の話もあり、

この頃、東南アジアにはタイ以外は独立した国家はなく、
今の、インドネシアはオランダ
ミャンマー、マレーシア、シンガポールはイギリス
ベトナム、ラオス、カンボジアはフランス
フィリピン、グアムは、スペイン
と、西欧列強が支配する”東インド”と呼ばれる地域だったわけですが、
パラオはかなり遅れて、1885年(明治18年)からスペインの統治が始まります。

そのスペインも米国との戦争で負け、1898年にフィリピン、グアムは米国に譲渡。
パラオを含むミクロネシアの島々はドイツに売却され。
そのドイツも第一次大戦(1914-1918)で負け、1919年から日本の委任統治領になります。

と、ここで日本とパラオの歴史は繋がります。

国際連盟(LN: League of Nations)の設立が1918年。
コロール島に南洋庁が設置されたのが1922年。
以下、

サイパン支庁(サイパン島、ロタ島、テニアン島)
パラオ支庁(バベルダオブ島、アンガウル島)
ヤップ支庁(ヤップ島)
トラック支庁(ウェノ島、トノアス島、トル島)
ポナペ支庁(ポナペ島、クサイ島)
ヤルート支庁(ヤルート島)

と、赤道以北の広大な海域に広く展開。

冷蔵技術がほとんど無かった時代に、サトウキビの栽培をはじめ、鰹節工場、缶詰工場など島に産業を興し、学校、病院、それらを繋ぐ道路も整備し、人も物も増えて南洋群島は多いに栄えます。

南洋群島の島々

しかし、ここから世界は動乱の時代に。

日清戦争(1894-1895)、日露戦争(1904-1905)に勝利し、満州に権益を得た日本ですが、欧米の列強はこれを良しとせず。

1941年12月8日、日本は米英に対して宣戦布告に至ります。

ハワイ空襲、マレー半島上陸、グアム島占領、ときて、12月10日には、「マレー沖海戦」で英国海軍東洋艦隊の旗艦、戦艦〈プリンス・オブ・ウェールズ〉、戦艦〈レパルス〉を撃沈。
その前、1940年にヨーロッパ戦線でドイツがフランスを下しており、以降、仏印にはすでに日本軍が駐留していました。そのサイゴン基地から離陸した陸上攻撃機によるものです。

同日、オランダも日本に対し宣戦布告しますが、日本は1942年初頭にかけて進撃を続け、2月15日にはシンガポールの英豪軍が降伏。3月9日にはオランダ軍も降伏します。

思いおこせば、
1864年の「四国艦隊下関砲撃事件」では英仏蘭米に対してボロ負けだった日本ですが、それからわずか77年でこの戦いぶり。

「嫌だ」とさんざん言っているのに無理矢理開国させられ、「じゃあ」と海を超えたら「ダメ」と言われ。……でこの展開。

こうして見ると、かつて大航海時代に西欧諸国が覇権を争った東インド攻防の続編という感じでもある

しかし、
1942年6月5日から始まったミッドウエー海戦で日本軍が敗北してから情勢は一転。

そして、ペリリュー島の戦いに。

1945年8月、日本は敗れるわけですが、戦後は東南アジア各地で独立運動が起こり、植民地は次々に独立を果たします。

15世紀の終わりににスペイン、ポルトガルによって始まった侵略の大航海は、英、蘭、仏、米による植民地を巡る大海流となり、その中で翻弄されてきた東洋の島々。日本もそんな海流の中の島々……の一つといえます。


日本の委任統治領だった南洋群島は、米国による国際連合(UN:United Nations)の信託統治領に。
その後、サイパン島、テニアン島、ロタ島は北マリアナ諸島としてアメリカ合衆国の自治領に組み入れられますが、パラオ以東のカロリン諸島は1991年、ポンペイ島を中心に「ミクロネシア連邦」として独立。
同年、マーシャル諸島の島々も、「マーシャル諸島共和国」として独立。

パラオはちょっと遅れて1994年に独立。

……ということで、今年はそれから25周年。
同時に、日本とパラオの外交関係樹立25周年でもあります。

両国の関係を記念して日本からヨットでパラオを目指します。
パラオ人もクルーとして乗艇。子供たちも練習帆船に乗り組み伴走する予定です。

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