スペイン-ドイツ-日本

[palau-11]

前回は、日本の鎖国とキリスト教の布教の関係について、あらためて考えてみました。
ポルトガルのキリスト教布教が嫌で、鎖国をしていたんじゃないのか、と。

じゃあ、日本と同じく東インドの外れに位置したともいえるパラオでは、そこのところどうだったのか。
日本もパラオも、欧米列強に翻弄される時代を経験してきたわけで。

『A Personal Tour of Palau』(Ann Kitalong著)という本がありまして、パラオの歴史についてもかなり詳しく書いてあるのですが、その中で宗教の話が半分くらいを占めています。


最初にやってきた西欧人はSir Francis Drakeで、1579年。
交易しようとはしたけど諦めた、なんて話は以前に書きました。

こちらは英国人なので布教は無し。

その後、だいぶ遅れて1697年、フィリピンに居たスペイン人Father Klein の乗った船が嵐で流されパラオに漂着、パラオでの布教に興味を持つも失敗。
この方、ローマのイエズス会に顔の利くカトリックとのこと。

1710年にはスペイン船〈Santissima Trinidad〉で、フィリピンからパラオの南西諸島Sonsorol島に2人の司祭を派遣。
Flemish priestとあるのですが、Flemishって今のオランダ人ってことか? いやベルギーか? すいませんよくわかりませんが、ヨーロッパの歴史自体が難しいのです。

島民に暖かく迎えられた2人は、島で一晩過ごして十字架を立てようとしていたようですが、船の方が夜間の強い潮で留まっていられず、2人の司祭を置き去りにしてフィリピンに帰ってしまいます。

強い潮で錨泊していられなかったとしても、なんで帰っちゃうの?

1年後、別の船で司祭を迎えにいくも今度は時化に阻まれ。
で、どうも船が去ってすぐ、2人の司祭は島民に殺されたと思われる……って良く分からん事件です。
島民に布教するより、まずは自分のところの乗組員に、神父を大事にするよう教えておけよ、と。
いや、スペイン人の船員からすると、Flemishの神父なんてどーでも良かったのか?

1712年、別のスペイン船がパラオに向かうも、着くや否や乗員と住民の間で戦闘となり何人か死亡。

と、スペインはパラオとの貿易や交流にことごとく失敗しています。というか、貿易や交流の前にまず布教しようとして失敗していたのかも?

そして、前に書いた、英国船〈Antelope〉とパラオの酋長との心温まるお話に続くわけで。

イギリス人とは相性が良いようです。

どうやら16世紀から18世紀まで、スペインはパラオでは何もできなかったということですね。


そのわりには、1885年からスペインの統治に至るわけですが。
これも、ローマ教皇 レオ13世が決めたってことですから……。あくまでも強引なカトリック。

1885年から1899年までスペインが統治……といっても、ビジネス面ではドイツがリン鉱石の採掘や農業をはじめており、ドイツの海軍基地(naval station)もあったとの記述があります。

上の記事でも書きましたが、1885年(明治18年)というと、スペインの国力はかなり低下していたはずで、『A Personal Tour of Palau』では、「世界的に布教競争の時代だった(time of international rivalry and missionary effort)」、と書かれていますが、それは16世紀のお話で、19世紀の末もそうだったのか?

1886年7月、スペインのCapuchinsが布教(mission)を始めます。「Capuchin」は、カソリックのカプチン派修道士ということ。

1890年には、Father Daniel Arbaceguiというカプチン派の高官(Superior)がヤップ島にやってきて、平修士(lay brother)のAntolin Orihueleと共にO’Keeffeの商船〈Santa Cruz〉でパラオへやってきます。

David Dean O’Keeffeという人は、「パラオで最も有名な貿易業者(trader)」とされるアイルランド系のアメリカ人。なんか怪しい雰囲気が漂いますが、アイルランド系ということはプロテスタントではなくカトリックということか。

1891年4月には、さらに〈Santa Cruz〉で4人のカプチン修道士と2人の司祭(priest)2人の修道士(brother)がやってきます。
「brother」は平信徒か? 司祭(priest)=神父(Father)で、修道士より格上なのか?
良く分からないのですが、この本では詳しく書いてあり、どうやらこのあたり(厳格な階級制)がカトリックの特徴のもよう。

とにかく、彼らが最初にパラオに住み着いた伝道者(first permanent missionary )ということになるようです。それまでは全部失敗していたわけですから。これが、1890年、明治23年ですよ。

ところが、代々伝わる土着の風習にうるさく口を出す禁欲的な修道士の指導に現地人は辟易していたもよう。

The Caputhins waged a religious battle against female entertainment in the clubhouses(klomengelungel) and cultural practice such as the ease of divorce and remarriage, local sorcery, and spirit communifation.

「waged a religious battle」とありますから、伝道というより宗教闘争って感じ。

1892年、島にインフルエンザが流行し、そこでの活動で多少はカトリックの信頼を得ることができたようですが、それでも、まだまだ。

1893年には、Luis de Granada神父もパラオにやってきます。たぶんスペイン人でしょう。村人への厳しい教え(chastising)とあり、具体的にはどういう指導だったのか、よくわかりませんが、Ngarchelong村では不満が溜まり布教を阻止しようと、抵抗したもよう。
結局、道案内の村人がわざと道を間違えるなどして神父は死亡。

と、結局ここまで、スペイン人による布教はあまりはかどらなかったもよう。

おまけに、新大陸(アメリカ)で米国との戦争(米西戦争)に負けたスペインは、1898年にミクロネシアの島々をドイツに売却します。


ドイツの統治時代となってJames Gibbonsが総督(Administrations representative)に就任。
この方、1870年代からパラオに住んでいたようで、「Jamaican-English immigrant」とあるんだけど、ドイツ人じゃないのか?

で、Gibbonsは、Seventh Day Adbentist(SDA)教会を建てます。プロテスタントのそれもかなり新しいキリスト教の一派のもよう。
Gibbons家は今もパラオに住み、この教会をよりどころ(stronghold)にしていると、『A Personal Tour of Palau』にはあります。

スペインの司祭(priest)が国に帰ってしまい、カトリック信者は激減しますが、1907年、ドイツのカプチン会修道士(Caputhin)が布教にやってきます。Ngarchelong、Airai、Aimeliik地区でカトリックは広まっていったそうな。
スペイン人とドイツ人では、同じカプチン会修道士でも、布教の仕方が違ったのかも。

ところが1914年、第一次世界大戦が始まり、8月23日に日本はドイツに対し宣戦布告し、占領します。
9月には宣教師以外のドイツ人を本国へ送還。
翌1915年には5人のカプチン会修道士と5人の聖フランシスコ修道女(Franciscan sisters)も帰国、 400人の信者とお別れをした、とあります。


ここから、日本の委任統治時代に入るわけですが、『A Personal Tour of Palau』では、
「日本はパラオ人に対して、彼らの信仰(ther faith)を強いる(impose)ことは無かった。」
とあります。

日本の国教(the State religion of Japan)は、Sintoismで、
「神道では、天皇は太陽の末裔にして神であると信じている」
(Shintoist believe emperor of Japan was a descendant of the sun and therefore a god)
ともありますが、なんか、ちょっと違うかなぁ……。
だいたい、神道の信者(Shintoist)というのもぴんとこないし。
いやいや、天照大神(あまてらすおおみかみ)は太陽神だとすれば、いいのか。

そもそも、キリスト教でいう神(god)と、神道の「神」の字は、意味合いが違うんじゃないかと思うし。
で、日本人とパラオ人の考える「神」は、どこか通じるところがあったのかもしれないなとも思ったりして。

『A Personal Tour of Palau』の筆者Ann Kitalongは、グアム大学、ハワイ大学で、動物学、生物学を学んだ方で、どこに住んでいてご存命なのかもよく分からないのですが、間違いなく日本人ではないと思われ、その目線でのパラオと宗教の話、興味深いです。

ちなみに、現在(2005年)のパラオ共和国での宗教人口は、
・カトリック 49.2%
・プロテスタント 23.1.8%
・SDA    5.0%
・モデクゲイ  8.5%
その他、
というデータがあります。
『パラオ社会とキリスト教』(紺屋あかり)

モデクゲイって何かって? それはまたオイオイと。

[palaau-11 by taka]